年賀状を出さないことの意味付け

実は、ぼくはあまり年賀状を出さないのです。まあ、それには一応自分なりの意味合いというか、主張みたいなものがあったりします。今回はそんなことを綴ってみました。

一つはそういう習慣がなかったから。前職(東京)にいた時は年賀状を出すということをほとんどしていませんでした。そもそも、住所がわからない、ですし、誰も年賀状を出したりしていないので、自然と出さなくなりました。友人も右に同じで、やっぱり、住所を教え合わないので、年賀状はださないと。

あと、引っ越しの影響で、今までずっとやり取りしていた人から届かなくなってしまった、というのもあります。それまではそれでも返信とかやりとりしていましたが、それが途絶えてしまった。

松本に戻ってくると結構、身の回りに年賀状を出す人も多いのですが、そういうこともあり、ぼくはあまり出していません。

どうしても、年賀状は年末の忙しい時期に準備するのが億劫なのと、準備するのにお金がかかります。それと、同じことを書いた紙をたくさんの人にどばーっとばらまくことにそれほど意義を感じられない、ということもあり、なかなか重い腰があがりません。

じゃあ、年末年始の挨拶的なことはなにもしないか、、というとそうではありません。遠くに離れていても、「この人とはつながっていたいな」と思う人は、メールやメッセージを出したりします。もちろん、定型的な文章ではなくその人に合わせて文面を変えます。これがだいたい10人程度。まあ、もらった年賀状には返事を書きます。5通を超えることはないでしょう。あとは、facebookに新年の挨拶的なことをアップします。

年賀状、出したい人、そうでない人、色々な人がいると思います。価値観や好みは人それぞれなので、自分がしたいようにする、というのがいいでしょう。とはいえ、時代の流れ的には徐々に出さないほうに向かっているのかな、という感触はあります。多分、これからも出すことはないだろうな、と思った次第です。

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