金持ちのドラ息子、バカにされたり、煙たがられたりしますが、案外、平等な世の中のために結構大切だったりします。今回はそんなことをば。
金持ちのドラ息子、まあ親のお金の使って、遊び三昧、限度なく使ってしまい、散財してしまう、そんな人をイメージしてください。これを聞くともったいないし、バカだなー、とか、親が可哀想に、、なんて、つい思ってしまいますよね。
ですが、こうやってお金の持ちのドラ息子が散財することにより何が起こるか。そこには、ものを買うことによりお金の流れができます。また、その流れが別の人に賃金として流れるとその流れの中で、あるひとの資産として留まる分もあるのですが、お金がぐるぐると流れます。そのお金の流れの中で、社会全体が富んでいき、多くの人にお金が行き渡ります。
他方で、散財したドラ息子との元からはお金がどんどんと流出します。どこかのタイミングでそのお金の流れを止めることができるのか、それともお金が残らずすっからかんになってしまうのか。いずれにせよ、ドラ息子の行動により、お金持ちの親から富が流れ、それが他の人の富みになるため、親に偏在した富を平準化させる効果があるでしょう。
逆に、親に似てしっかりした子供だったらどうなるか。親と同じように、事業や投資をしてお金を積み上げていきます。事業も投資も種銭がある方が強く、一般に金は低きから高きに流れる、という言葉にある通り、その一家にどんどんとお金が溜まります。もちろん、突発的な事象や時代の流れでそういう子供でもお金を失うこともあるかもしれません。ですが、確率論的には金持ち一家にますますお金が溜まり、富の偏りが残ってしまいます。
ということでお金持ちのドラ息子の社会的意義について考えてみました。もちろん、本人や家族にとっては切ないことであることは間違えがありません。ですが、そうやって富の偏在を解消し、少しでも平等な世の中のためには、ドラ息子が必要だったりもします。これも一種の合成の誤謬の逆ですね。