人間は社会的生物である以上、肩書きを持つ、こともあるでしょう。特に業務上の役割分担がそのまま肩書きとなることが非常に多いですよね。ただ、気を付けないと、この肩書に自分が取り込まれてしまうことがあるので、注意したいものです。
人はどうしても、肩書きが高い人を「偉い」という風に感じる傾向があります。そのため、肩書きで人を評価する、というか、ふるまいが変わる、ということができてしまいます。やっぱり、会社組織であれば、社長は偉く、平は一番下、というように見てしまいがちです。もちろん、役割として社長のほうが意思決定権限が大きいので、どうしても、ビジネス上、社長を重んじないといけない、ということもあるでしょう。ですが、そういったことを抜きんしても、肩書きで人を評価しがちです。
ここで、まず気を付けるのは、肩書きによって態度を変える、というのははたから見る印象が悪くなります。役職者だと気付いた瞬間に妙に卑屈になったり、逆に年下だと気付いた瞬間態度がでかくなる、というのは、相手にとって結構印象が悪くなります。むしろ、役職者だと気づいても、そのままの態度を続けるほうがかっこよかったりします。なので、肩書きで態度をコロコロ変えない方がかっこいいかも。じつは、これの防止方法は非常に簡単で、最初のうちは誰に対してでも丁寧な態度をとり続けていればいい、のです。で、その後のその人との関係性に応じて徐々に態度を変えていけばいいのでは。
また、肩書きというのは、あくまでもその人の一面でしかないので、肩書きだけを見ていると人の評価を誤る可能性があります。「先生」とよばれるひとであっても、誰もが高潔なわけではなく、そうでない面を有していることもあります。また、平社員だったとしても、きらりと光るものをもっている、ということもあるでしょう。また、仕事を離れれば、肩書きとは別の尺度(相性とか人柄等)で人を図るということも必要になります。
さらに、肩書きの中に入り込んでしまうと、肩書きがなくなったときに、その人自身がなくなってしまう可能性があります。わかりやすいのが、定年退職等で仕事を失ったときに、肩書きに頭を下げていた人が回りからいなくなります。また、自分自身も肩書き以外の能力や個性をおざなりにしたことにより、それがさび付いてしまう、ということもあります。つまり、仕事により肩書きを失ったことにより人間関係やできることを全て失ってしまう。また、肩書きによりプライドが高くなってしまっていると、なかなか、頭を下げて別の共同体に入ることも難しくなってしまう。そうすると、その後、まさに抜け殻みたいな人生を送らざるをえなくなってしまいます。
肩書きの魔力についてここまで書いてきました。とはいえ、肩書きの扱いというのは、ビジネスを円滑に進めていくうえで必要不可欠な面もあります。大切なことは、「肩書き」と「それ以外のもの」のバランスをうまくとり、必要に応じて肩書きを使っていくが、そればかりに目を取られない、ということが非常に大切だと思います。