社会問題が発生する原因に関する考え方はいくつかあります。そのうち、代表的なものが陰謀論と社会的ジレンマ論です。どちらも説得力がある考え方なのですが、どちらかというと、ぼくは社会的ジレンマ論にたっています。ここではそんなことをば。
陰謀論、というのは、どこかに黒幕や秘密結社みたいなものがあって、そこが自分たちの利益や理念のために、社会問題を引き起こしているという考え方です。例えば、コロナはどこぞやかの情報機関が拡散したものであり、ワクチンはその情報機関が人間を絶滅させるために開発されたものである、とか。これはぼくの創作ですが、似たような話はネットに漂っているようです。
それに対する概念としては、社会的ジレンマという考え方があります。これは、人々が自分の利益を追求した時にその影響が積みあがると社会問題が発生することがありうる、という考え方です。
例えば、いま話題になっている、気候変動もこの理論により説明することができます。個人であれば冬の時期は暖をとるために暖房をたきますし、早く快適に移動するために自動車にのったりします。また、企業も事業活動を行えば電気も使うし、業種によっては石油やガスも使います。それが、少数の人間や企業であれば問題にならないのですが、そういう個人や企業が多くなったことにより、地球の中の二酸化炭素が増えて気候変動が引き起こされてしまうわけです。もちろん、個人が暖房を我慢したり車ではなく徒歩で移動したりすれば、二酸化炭素の排出量が減るのですが、現実的にそんなことはできず、問題が解決しない、という状況です。つまり、個の幸せや快適さを追求すると集団としては問題が生じるというのが社会的ジレンマ論の難しいところです。
どちらも社会問題を発生させる原因に対しては説得力はあります。ただ、陰謀論は若干理論としては問題があります。まず、立証がほぼ不可能。どこかにいる「黒」幕や「秘密」結社ですが、その存在をどうやって証明するのか、ということです。立証が不可能なら存在しない、、とは言えないのですが、立証ができないためにデマや偽りであってもそれに気づけない可能性はあります。あとは、陰謀論だと解決策の提示が難しい。陰謀論を正としても、黒幕や秘密結社をどう見つけて、そういう人たちにどう働きかけるか、、ということが難しいのです。
社会的ジレンマについてだと、目に見える人々の行動に起因しているため、基本的には観察可能です。なので、立証することも、もちろん難しい面もありつつ、陰謀論よりは立証可能でしょう。社会的ジレンマのほうが、それを利用して解決策を考えていく、ということもしやすいと思います。具体的には、政策論や制度論の基礎になりうるのではないかなと。
ということで、今回は陰謀論と社会的ジレンマ論について考えてみました。個人的には、どこかの黒幕が、、というより、人々の行動の集積と考えたほうが受入やすく感じています。とはいえ、陰謀論も絶対的に間違っている、ということもないので、状況に応じてそれぞれの理論を使い分けていければ、、と考えます。