座学、と、実践、どちらが大切か、といわれるがあります。それぞれに大切であり、やっぱり、その両方を繰り返すことが必要でしょう。そういったことをつらつらと書き綴ることにします。
実践の必要性
「畳の上の水練」、という言葉があります。これは、畳の上で水泳の練習をいくらしても、水に入って泳がないかぎり決して泳げるようになれない。ということです。これからわかるとおり、実践をしないと力は身につかない、ということがあります。
こういうことが起こるのは、実際、使う場がこないと、どうしても身を入れて修練できない、というモチベーション的なところがあります。それとともに、やってみないとわからない。やってみて初めて、自分の状態である、とか、努力の方向性が見えてきたりもします。実際やってみることにより、力がつく、ということでしょう。
座学も必要
とはいえ、座学も必要です。「畳の上の水練」といっても、水に入る前に、ある程度は畳の上での練習は必要です。そうじゃないと溺れてしまいますよね。このように、まずは座学をすることにより、基本的な知識や型を身につけることは当然に大切です。それがあるからこそ、実践をしての学び、というのは大きくなります。
実践と座学の差というのを把握することにより、より、上達は早いです。ということは、逆にいうと、座学がないとその差が認識できないわけで、座学もいるでしょう。
実践を前提とした学びを
このように、座学と実践、車の両輪のように両方大切です。そのため、学ぶ対象を選ぶにはある程度実践予定があることを前提とすることが望まれます。逆に、実践の前提がないときは、学び始めるのはどうかな。よく、「国際社会だから英語ができたほうがいいよね。」という向きがあるのですが、それだとモチベーションも続かないし、身につかない。来週海外出張がある、とか、英語のプレゼンをしないといけない、というように手近なところに実践の場があると上達が違います。
それと、実践が予定されていると、どういう座学をするのか、が明確となり座学のテーマが選びやすいことがあります。
もちろん、教養のために勉強する、というのもあるのですが、そういう場合はある程度輪郭がなぞれた段階で、次の教養に進んだほうが無難です。