人に言う、俗にいう宣言、というやつですね。人に対して、モノを言うと自分の行動に縛りが生じます。今回はそんな縛りについて書いてみます。
宣言による縛り
人に対して宣言をする、例えば、「勉強がんばります。」、「試験に受かります。」、「ジムに通います。」、、というようなこと。で、宣言をすると、そこから縛りが生じます。つまり、宣言しておいて、前言を翻すのはいやだな、、ということです。
縛りによる効用
この、宣言による縛りを、自分を律するために使うことができます。
僕の場合だと、宣言というわけではないですが、週2回は休肝日を作ることをほうぼうでいいまわっています。そうすると、時折、それ以上飲みたくなっても、「いやいや、言ってしまったし、飲むのもなー。」ということで、割と週2日休肝日を守れています。つまり、「前言を翻すのはいやだな、、」という思いが自分の行動を律しているわけです。
この場合、遠い友人より近しい家族とか同僚のほうが、近くで自分の行動を見られていることもあり、効果的です。
宣言をすることのマイナス
宣言をすることにより、マイナスが生じる場合があります。それは、宣言してはみたが状況が変わったとか、自分には合わないことに気づいたといった、悪い事象が生じる場合に方向返還しにくくなること。
例えば、「俺、毎日3km走る。」と言って、それにこだわり無理をして体を壊してしまう、ということが考えられます。つまり宣言により、自分を悪い方向から抜けにくくなってしまう。
また、宣言をしたときにやらなかった場合に自尊心を減じてしまう、ということもあります。
自分を律しつつ、俯瞰的に考える
具体的にどうすべきか、というと、宣言により自分を律することを基本としながら、俯瞰的に状況を確認しておく。そして、俯瞰的にみて、宣言通りにやることのマイナスが大きい場合は「勇気ある撤退」をする。ということでしょう。つまり、全体として将来まで考えてプラスになるかどうかを判断基準に進める、ということなのでしょうね。
ちなみに
宣言して、結果としてできなかったことを恐れ、宣言しないでしまう、というのもちょっともったいない気がします。
時には勇気を出して宣言してみる、そうすることにより、現状より高いレベルにチャレンジできたり、継続的な取り組みにあたり自分を律することができ、よりよい方向に自分の人生を進めることができるのか、と考えております。
人は自分が言ったことなど、案外と覚えていなかったりもします。