憎まれっ子は世にはばかる、というものです。波風を立てないように生きている人にとっては、はらただしいことですが、嫌な奴だな、と思う人ほど、人気があったりします。今回は、このメカニズムを考えてみました。
憎まれっ子世にはばかる、意味は以下の通りです。
「憎まれっ子世にはばかるとは、人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものであるということ。」
会社内でやりたい放題な人、個人的な人間関係でやりたい放題な人、ネット上でもやりたい放題な人。時折、みかけますが、こういう人って、案外と人気があったりしませんか。逆に、人間関係に気を使って、自分の発言や行動を自重している人のほうが、「いい人だよね。」で終わってしまう、ということもあるでしょう。
このメカニズムとしては、結局、人に気を遣いすぎると、人の目に留まらなくなる。「あの人、いい人なんだけど、なにやってるんだろう。」という感じ。他方で、憎まれっ子は、人の目に常に入っているので、よくもわるくも注目してしまう。その結果、嫌いな人は嫌いだけど、好きな人は好きになる、というメカニズムが生れるわけです。
後は、周りの目を気にしすぎると身動きがとれなくなる。「これをしたら嫌われるのではないか。」、「これをすると悪く思われるのではないか。」と思えば思うほど、周りに地雷が増えていき、結局、なにもできなくなってしまいます。なにもしなければ、好かれることも嫌われることもないでしょう。
憎まれっ子は地雷を気にせずに動き回るので、時として地雷を踏みつけてしまい、怒りだす人もでてきます。それと同時に、地雷から火柱があがるのを喜ぶ人もいたりします。人間の感じ方として、やりたいように生きている人を見ると、「好き」、「嫌い」のどちらかに傾きます。結局、人はやりたいことをやった時のほうが成果があがるので、憎まれっ子は憎まれもしつつ、でも味方も増えて、世の中で色々なことをなせるようになります。
結局、人の目を気にして動けなくなるより、気にせずにほいほい動いたほうが、一定数嫌う人もでてくるのですが、成果も上がり味方も増えていく、これが、「にくまれっこ世をはばかる。」のメカニズムになるでしょう。結局、「やりたいことは人の目を気にせずにやれ。」ということになるのではないでしょうか。