枠に囲まれた世界の中で心地よく生きていくためには

やっぱり、世間の枠、常識の枠、は数多くあります。ここでいう枠とは、世間に存在するこういうように生きるべき、ああいう風に行動すべき、という暗黙の強制をさします。その枠組みの中で心地良く暮らせる人はいいのですが、必ずしもそうでない、ということもあるでしょう。そんな人が、どう過ごすと楽に生きれるか考えてみました。

常識の枠、世間の枠から外れてしまうと、それも、外れる距離が大きくなれば大きくなるほど、生きにくくなります。やっぱり、自分は良くても、周りの人があれやこれやと言ってきて、それがうっとおしく感じられることが多いです。この世間の枠、常識の枠というのは、社会的に正しい、とされているため、枠を押し付けるほうはそれが自分が正しいと思って正論を押し付けてくるので、それにさらされるほうは結構大変です。僕自身は枠にはまっている面もありますし、枠からはみ出ている面もあり、時にはみ出ているところをとがめだてられることもあるので、その辛さは理解できるつもりです。自分が快く生きれるためには、どうやってその枠と付き合っていくかを考えていく必要があります。

まず、枠や常識を押し付けてくる人が、自分から遠い人の場合。例えば近所のおばさんや遠い親戚たちが「あの人は~だよね。」「ちょっとおかしいよね」とひそひそと話しているようなときはどうするか。基本的には気にしないことです。どんな行動をしても、自分のことを悪く言う人は一定数存在するので、仕方がないと割り切ることも大切です。まあ、人の陰口を言っている人たちはヒマ人が多いので、そんな人に自分の心を煩わされる必要はないでしょう。

次に、枠や常識を押し付けてくるのが家族や友達のように自分から近い場合。実はこの場合のほうが、問題は深刻です。よく、近くにいるから自分のことをわかってくれる、という考える向きがあります。まあ、それが成り立つ場合もあるのですが、それよりむしろ、自分の近くにいるからこそ社会の枠や常識にはまってほしい、という心理規制が働くことがあります。近くにいても別人格である以上分かり合えることが難しい場合もあるでしょう。これをどう対応するか、というのは自分も対策を考えていないのですが、やっぱり、真っ向からおだやかに根気よく自分の考えを説くことが必要かなーー、、と思います。

あとは、自分の味方を見つけて、その人を大切にすることです。非難されたり糾弾されたりするとどうしてもそのことにとらわれてしまいます。ですが、どこかに自分と同じ気持ちを持っている人がいるものです。また、なにか目標をもち、それに向かって努力を続け、さらにそれを発信/伝達する、ということをしていれば、誰かしら応援してくれるものでてくるものです。僕もそういう人たちは好きで出来る限り応援したいな、と思っています。また、自分自身でもなにかしら応援してもらえるようなことをしたい、と思っています。

最後は、自分にしっくりくる常識や枠のある世界に移動する、ということがあります。当然、場所や地域によって、常識や枠が変わってきます。分かりやすい例でいえば、もし、僕がゲイだったらサンフランシスコに永住して日本には帰ってこなかったでしょう。日本だと、常識や社会的規範として「ゲイはよくない。」という価値観が根強くありゲイの方は人目をはばかって暮らしているようなところがありますが、サンフランシスコはそんな枠や常識はほとんど感じられず、ゲイの人でも普通に堂々と生活しています。このように、自分に合う社会に移るというのも一つの方法でしょう。

ですが、注意したいのは、日本であれアメリカであれ都会であれ地方であれ常識や枠というものは存在しています。そのため、自分がいまいる共同体や地域の常識や枠が合わない、といって、別のところにいっても、やっぱりそこにはそこならではの常識や枠がありそこに合うかどうかは別問題です。僕も、海外で暮らしたこともありましたが、やっぱり、日本がいい、ということで日本に帰ってきました。もちろん、海外でいきいきと活躍している友人も多く、やはりそこは人によるのかな。

そうそう、なにげに大切なことは、折り合えるところと折り合えないところを明確にする、ということでしょう。自分自身のこだわりのないところで戦っても辛いだけです。なので、折り合えるところは合わせておくというのも、世をスムーズに生きる一つのコツです。

ここまで、枠や常識のへの対応を考えてみました。なかなか、むずかしいところもあるのですが、うまく、枠につきあっていけるといいですよね。

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