日常生活、今回も少し昔の話をたどってみます。人の好みや考えはうつろいやすい反面、他の人からの見方は変わりにくい、ということを、私が以前好きだったスイカととうもろこしを例にとって書いてみます。
スイカととうもろこしがとても好きだったのが、ある日、嫌いになった話
昔々、まだ私が小学生(もしかしたらそれより前)の頃の話です。その時は、スイカととうもろこしはそれはそれは大好きで、夏がくればそればかり食べていました。周りの人もかあくん(私の頃の幼名)がスイカととうもろこしが好きだ、ということをよく知っており、それがもとで、よくもらっていました。好きなこともあり、いただきものは基本食べるようにしていました。
ある日、おなかを激しく壊してしまいます。本当の原因は不明ですが、おそらく、スイカととうもろこし、もともと、消化のいいものではないので、それを食べすぎたことがが関係はしていたと思います。少なくとも、幼いころの自分はそのように固く考えていました。おなかを壊したときから、スイカととうもろこしをピタッと食べることができなくなってしまいました。
とはいえ、周りの人は私がスイカととうもろこしが好き、という認識でおり、スイカととうもろこしは相変わらずもらいます。でも、僕は食べない。けど、なかなか、それはくれる人には言わない。ということで、一時期、うちに集まったスイカととうもろこし、もてあましてしまいました。
ちなみに、今はスイカもとうもろこしも好きですが、缶詰のコーンには若干の苦手意識があります。
人の価値観、考え、好みは変わるが、他の人からはなかなか認識されない
このことから学べる事例は2つ。
まず、人の価値観、考え、好み、というのは、変わりうること。今回のケースだと、以前はスイカやとうもろこしは結構好きだったのですが、腹を壊した、というイベントにより好きではなくなります。時の経過とともに、変化するのは当たり前のことだといえます。
また、他の人はその変化に気付きにくい。なかなか、周りの人にスイカととうもろこしを食べなくなったことをわかってもらえなかったです。そのメカニズムは一つは、ひとたび印象形成がなされるとそれが定着して忘れないこと、もう一つは先方がそのことを前提として話をした場合、それを覆すのは難しいこと。上の例でいえば、スイカやとうもろこしを持ってきてくれた人に対して、「いや~、実はとうもろこしとスイカは嫌いになってしまって。」とはいいづらく、結局受け取ってしまうので、くれた人の認識はいつまでたっても変わらない、ということです。
今回の話、ひとはなかなか自分のことはわかってくれない、というところの一例となります。なかなか、自分のこと、わかっていただくのは難しいですよ。