前回は受験勉強が社会に与える影響を考えてみました。今度は個人に与える影響を考察します。いいこと、悪いこと、それぞれあるかなと。
個人における受験勉強のメリットとして
個人において受験勉強のメリット、いくつかあります。ここでは、個々の科目より、受験勉強による共通的なメリットの話をします。
まず、目的に向かって努力するという経験ができます。大学受験でいえば、志望校に合格する、という目標をもちそれに向かって勉強を積み重ねていくわけです。目標に向かい努力することは世の中を生きていくには必要なことなので、そういうことを経験できる、ということはいいことです。
それと、勉強する習慣がつく、ということ。勉強が必要なことは子供の頃だけではありません。むしろ、大人になってからも勉強することは求められます。仕事のこともそうですし、資格をとることも必要でしょう。勉強すること、というのは、それ自体が一つのスキルであるため、勉強する、ということができるようになる、ということはその人にとってメリットになるでしょう。
達成/挫折経験を得ることができる、ということもあります。うまくいけば、達成する、ということでしょうし、うまくいかなかければ、挫折する、ということになります。人はそれぞれ達成、挫折という経験を積み重ね成長することがあるので、経験の一機会として、意義のあることになるのかなと。
画一的な価値観で切られてしまう
弊害としては、画一的な価値観で人を分けてしまうことです。そもそも、人は色々な能力、色々な志向、色々な価値観を持っているものです。それを受験を基礎にした価値観、評価尺度を与えることにより、それ以外の項目を切り捨てることになってしまいます。この場合、勉強が得意な人はそれでもいいのですが、そうでない人にとっては結構辛い状況になってしまいます。社会にとっても、ときとして、画一的な価値観、能力をもった人を量産してしまい、活力を失わせてしまう、ということもあります。
平均的を重んじる思考回路を作ってしまう
受験によると平均的な人間になる思考というものが作られてしまうような気がします。受験勉強の場合、特に複数の教科がある場合、バランスをもって成績を上げていく必要があります。これは、数学だけできても他の教科ができないとうからない、ということです。学校によっては一つの科目が一定の水準がもとめられます。それとともに、80点のものを90点にあげるのは難しい一方で、40点のものを50点にあげるのは容易だったりもします。そうすると、苦手科目を補修し、平均的、全体的に点数をあげていく、という戦略になってしまいます。
このクセ、実は受験勉強が終わってからも残ったりします。つまり、社会人になってからも自分の苦手なところを埋めるように努力していしまいがちです。ただ、時として平均的な人間になる、ということは大失敗はしないけど、大成功もない、ということもあります。むしろ社会的な成功のためには一つのことを突き抜けた方がいい、ということもありますよね。なかなか、受験をしてきた人というのは、突き抜ける、つまり弱点を無視するという思考をとりにくく、結果として小さくまとまってしまう、そんなような気もしています。
まとめ
受験勉強を通して目標に向かって努力をする、勉強する習慣、方法を身に付けるといったメリットがあります。ただ、全ての人が受験勉強が得意というわけではないので、苦手な人にとっては辛いことでしょう。また、平均を重んじる思考にとらわれてしまい、突き抜ける、ということができなくなるのも、一つ、マイナス事項かもしれません。