見当たらなかったクレジットカードが見つかって、気づいた幸福のありか

先日、家にあったはずのクレジットカードが見当たらなくなりました。で、30分くらい捜索してようやく見つかりました。その時、ふと、幸福感を感じました。今回はそんなことをば。

本来であれば、見失って見つかるより、見失わないほうが幸せなはずです。見失う、ということはストレスですからね。ですが、ずーっといつものように財布に入っている、というのは、当たり前すぎて、別に嬉しくもないわけです。なので、見失って見つかる、ほうが幸福感を感じてしまいます。

もう少し抽象化すると、いい方向に対する変化、ということが幸せの源泉なのかな、と思います。クレジットカードを持っている、ということは、変化がないのでそこからは幸福感は生まれない。逆に、クレジットカードが見つかる、ということは自分にとっていいことなので幸福感を感じる。理屈で考えると同じマイナスと同じプラスでプラスマイナスゼロ、とはならず、プラスの方が強調される、ということです。

とすれば、金持ちが幸福感を感じにくいのもわかります。つまり、金持ちは、もう、金を持っている。その状態が続いても、そこからは幸せを感じないのです。庶民が金持ちを羨む気持ちには、自分という庶民が、お金持ちになる、その変化に幸福を感じている。実際に、金持ちになり、同じようなお金を持っていてもそこからは幸せは感じられないのです。

ということで、いい方向への変化、ということが幸福の源泉です。とすれば、少しずつでも、いい方向に変化している、そういう状態を作り出せれば、幸福感は持続しやすい、ということです。言い換えると、持続的成長こそが幸せがずっと続くのではないか、と考えています。

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