人にはそれぞれライフサイクルイベント上で、忙しいとき、と、ヒマなとき、ということがあるでしょう。忙しいときはしんどく感じるのはもちろん、ひまになっても意外と持て余してしまう、ということもありますよね。どうすればいいか考えてみました。
人がとりがちな考え方、感じ方
人の考え方の傾向として、忙しくてもヒマでも、しんどく感じる、ということがあるかと思います。特に忙しいときは、「こんな忙しいのいやだ。」、「どうにかしてくれ。」、「一刻も早くヒマがほしい。」とついつい考えてしまいます。ヒマなときはどうかというと、「こんなのでいいのか。」、「ヒマな時間がながれていくようだ。」、「早く仕事をしたい。」というように、ヒマであることが辛くなってきます。このように、隣の芝は青くみる、ではないのですが、忙しいときはヒマになることをに、ヒマなときは忙しさ、を求めるようになるものです。
忙しさへの対応
まず、忙しさについてどう対応するか、ですが、時限的なものか恒常的なものかで対応が分かれます。まず時限的に忙しい場合は、休み休み、何とか乗り切ってしまう、ということでしょう。具体的には繁忙期があって、ある程度その時は忙しいことがあらかじめ分かっているような状況をさします。そういった場合は、気合で乗り切ってしまう、というのがあります。とはいえ、体を壊しては元も子もないので、適宜休みを取りながらうまく乗り越える、ということが必要でしょう。
次は、恒常的に忙しい場合、こちらのほうが問題です。この場合、やっぱり、忙しさをある程度減らしにかかる、ということが必要です。仕事で、上司に忙しさをアピールして仕事を減らしてもらう、お金で片付くことはお金で片づけるようにする(たまにはタクシーに乗る、とかですかね。)、趣味や副業等手を広げ過ぎたら、少し巻き取るようにする、というように具体的に忙しさを減らしたい、ところではあります。
ヒマへの対応
ヒマな時はヒマな時でしんどかったりもします。ヒマのしんどさ、というのは、未来が明確に見えている場合とそうでない場合に分かれてきます。
未来が見えている場合、というのは割とヒマに対処しやすい。ヒマができたら、その未来に紐づくことにヒマを投入すればいいのです。例えば、私が中国に駐在する前は1か月くらい時間があったのですが、それほど辛くはなかったかな。その時間で、中国の会計や税務の本を読んだり、英語/中国語の勉強をしたり、日本で色々な友人と飲んだりして、割と有意義でした。
逆に、未来が見えていない場合のヒマさのほうが辛い。この場合だと、往々にしてヒマをどう使ったものかわからなくなります。もちろん、なにがしかのことはするのですが、それをしていることの正当性を感じにくくなります。自分であれば、留学後、日本に帰国した後の就職活動中は将来が見えず、なかなか、しんどかった思い出があります。
その場合、ヒマな時期が長く続くわけではないので、考えを切り替えて、ヒマを楽しむようにしましょう。今まで、やりたかったけどできなかったことを試してみる、とか、人の誘いに乗ってみる、なにかイベントに出てみる、というのもいいでしょう。こういうときもある、と割り切ってその時間をうまく過ごすようにしたいものです。
まとめ
忙しいときも、ヒマなときも、それぞれしんどく感じることがあります。忙しい時には物理的に忙しさを緩和するように、ヒマなときにはうまくそのヒマを使えるようにできれば、それぞれのしんどさは軽減するのでは。まあ、忙しさとヒマさがほどよくミックスしているのが、心地よい状態なので、うまくそのバランスをとれるようになる、これが一つの目標になるのでしょう。