この文章は令和4年1月3日に書いています。東京や大都市圏を中心に少しずつ感染が拡大しています。今は、パンデミックの冬であり、オミクロンもあり、年末年始の人の移動ありで、ちょっと、気を抜けない時期かな、、と思います。そのコロナ対策の鍵となるのがワクチンですが、その社会的副作用について考えてみましょう。
まず、その前提として現在の接種状況から。NHK特設サイトによると、2回目接種した人が98,660,175人で77.9%の人が接種しています。この状況で頭打ち、つまり、日本人のうち2割弱の人は接種していないようです。もちろん、接種対象とはならない、子供たちも分母には含まれますので、接種対象の人での接種率を見るともう少し低くなると思います。
実は、このワクチンを接種した人と接種していない人の分断というのは、何気にしんこくだったりもします。友達どうしくらいならまあいいのですが、職場であれば詰めれれたりすることもあったようですし、家族や親族からのプレッシャーで本当は打ちたくなかったけど、打たざるを得ないとか、恋人どうしで接種に関する価値観が違いから別れてしまった、ということもあった、と、近しい人で価値観が異なると深刻だったりもします。
どうしてこういうことが起こるのか、というと、まずは、お互いに一理ある、ということがあります。打たない派としては、個人の自由とか、副反応に対する恐れ、そもそもワクチンそのものが信じられない、それって自己責任じゃん、ということがあるようです。打つことを強要する方の考えとしては、感染する恐れがある、医療逼迫を巻き起こす、近い関係だと発症すると生活に負担が、、、ということがあります。どちらも一理あるので、お互い、譲れない、ということあるでしょう。
あとは、ワクチン接種については、オールオアナッシング、つまり、打つか打たないしかないのです。妥協すべきポイントを見出すのが難しい。真ん中を取って1回目だけ接種する、というのは、ないでしょう。妥協ができないのであればどちらかに寄せるしかなく、それはそれで難しいということです。
まあ、政府が強制力を持って国民にワクチン接種を進めることができれば、こういう分断はおきにくいのです。ですが、個人の自由を強い価値観として持っている国、欧米なんかですね、だと、打たない人もそれなりにいて、分断が生じやすいのです。日本は、同調圧力で打つ人も多いのですが、そうでない人も一定数いるし、政府もそれほど接種を強制しないので、こう言った分断が起こりやすいです。