とらわれてしまうこと、ありませんか。とらわれる、ここでは、ついあることをし続けてしまう、ある考え方を捨てられないでいる、そういった心理規制です。人のとらわれは見えるが、自分のとらわれは見えない、こんなことを考えてみました。
なんでそんなことをするのだろうと
友人の相談を聞いたり、様子を見たりしていて、どうしてそんなことをするんだろうな、と思ったことありませんか。もっと、こうしたらいいのに、とか。例えば、ずるずると付き合い続けてその付き合いを続けることが自分でも周囲でもわかっているのに、どうしてもやめられないとき。勇気を出して、したことをするのを止めてしまうとき。はたから見ると、なんでそういうことをするのだろうな~、と思っても、その人はそういう行動をしたり、決断をしていたりすることってありますよね。
自分を翻ってみると
じゃあ、自分はどうなんだ、という話です。人のことを色々ということはたやすい。ですが、自分自身にもとらわれている、ことはあります。本当はこういう考えをしたらいいのについこうしてしまう、悪い習慣に流されてしまう、言いたいことをつい我慢してしまう、ということがあります。また、一度始めたことについては、なかなか、やめられない、というのもあるでしょう。結局、自分も人のことは言えず、多分、傍からみると不合理だと思えるようなことをしているのだろうな~、と思うことはあります。
「とらわれ」ている
こういったことを、「とらわれ」ている、と考えるようになりました。つまり、なんらかの考えが、その人を縛っている、ということです。おそらく、表層的な考え、合理的な考えではなく、もっと自分の奥深いところにいる、価値観、経験などが起因しているのでは。自分自身でもそこを見ることは難しく、他人のことは普通ではよくわかりません。だから、気安く「そんなことやめたほうがいいじゃない~。」といってしまうのでしょう。でもその人にとっては、なかなかとらわれている状態から抜け出ることは難しくなるでしょう。
「とらわれ」との付き合い方
人の「とらわれ」については、仕方がないところがあります。色々といったところで、その人でしか解決できないことです。家族や友人であれば、折にふれて、自分の意見を言いつつ、見守るといったところ。また、それほど仲が深いのでなければ、ほっておくということになります。
自分の場合は、「とらわれ」られうる、ということを知っておく、ということがいいです。基本的に、とらわれている自分とそうでない自分、これが葛藤を起こすと辛くなります。まず、とらわれている、という状況を把握します。そこから、なぜとらわれているか、少し文字に落としながら考えてみる、ということも有用です。
まとめ
とらわれてしまうとそこから抜け出すのは大変です。周囲の人であれば見守る、ということでしょうし、自分であったら原因を考えてみる、ということもあるかと思います。「とらわれている」自分も自分自身なので、嫌わずに大切にしてあげるといいですよ。