人は何かしら、劣等感を持っているものです。もちろん、ぼくにもあります。嫌なものだし、解消させたい、考えたくない、と思いますよね。でも、劣等感がある、というのは、悪いことばかりではないのです。
劣等感を持つからこそ、人に対して優しくなれるのです。つまり、劣等感を持つ人に対して共感を持ちやすくなります。
基本的に、できる人はできない人の気持ちはわかりません。すなわち、勉強ができる人はできない人の気持ちはわからない、仕事ができる人は仕事ができない人の気持ちがわからない、運動ができる人は運動ができない人の気持ちがわからない、恋愛ができる人は恋愛ができない人の気持ちはわからない、アレルギーでない人はアレルギーである人の気持ちはわからない。
なので、できる人は「なんでこんなことができないのだろう」という思いますし、できない人は「そんなこと言われてもできないことはできないんだよう」といことになり、お互いの気持ちが理解できないのです。すると、できる人は、つい、できない人を矯正しようとしたり、軽んじたりして、それができない人の気持ちを傷つけることができます。できる人に悪気がなく、親切心で色々と世話を焼こうとすることがあり、それがかえって傷つけてしまう、ということもあるでしょう。
人によって、得手不得手があるので、あることはできるし、あることはできなかったりします。できないことについて、それに対して劣等感を感じることもあるし、そこをできる人に突かれて傷つくこともあります。ですが、劣等感に傷つくという気持ちがあれば、他人の劣等感を突いた時の痛みも想像することができます。もちろん、劣等感の対象が違えば、感じることができるものというのは違ったりします。とはいえ、できないことに対する辛さ、というのは共有できるのでそこについての配慮はできるようになるはずです。
例えば、勉強ができる人は勉強ができない人の気持ちはわかりません。ですが、勉強ができる人がコミュニケーションが苦手で、それに対して劣等感を持っている場合、勉強ができない人が持っている劣等感ということを類推することはできたりします。そうすれば、勉強ができない人に対して、お節介したり、悪様に言ったりする、ということは控えるようになれるでしょう。つまり自分が劣等感を持っておりその痛みを持つことで、他者の同じような痛みを想像できるようになる、ということです。
劣等感、確かに辛く嫌なものです。ですが、それがあるからこそ、人に優しくなれる、という面もあるので、うまく付き合っていきたいものですね。