この文章は令和3年11月24日に書いています。11月23日の新型コロナ感染症患者数は113人とかなり少ない人数です。ただ、どこかで増加する局面はあるような気もしていて、まだ、気は抜けんな、、と、思っています。
ちょっと、早いかもしれませんが、この2年弱続いたコロナ騒動で、自分が得られたものを書いています。まあ、失ったもののほうが多く、辛い時期が続きますが、得たものもあった、ということです。
まずは、オンラインの活用です。オンラインで話をする機会は、かなり増えました。オンラインだと、移動時間がなくていいので、快適に人と話せます。オンライン飲み会も主宰しましたし、また、オンラインセミナーの講師は、6回担当し、だいぶ慣れてきました。オンラインリテラシーはコロナが終わっても、活用できると思うので、これは結構大きな財産かと思います。
料理の技術は上達しました。休日で、ぼくが在宅している時はぼくが料理します。それは、コロナ前でもあまり変わらないのですが、コロナということで休日に家にいる機会が非常に多くなり、料理をする機会が増えます。また、コロナ禍を機に料理系のYoutubeを参考にして料理することもあったりして。そんなこんなで結構、料理は上達したのではないかと思います。
家にいることが多い、ということで、研修とか将来のことを考えるとか、第2領域に属することに時間を使えるようになりました。コロナでない時は、外出が多く、あまり、こういったところに時間を割けなかったと思います。また、コロナでオンラインでセミナーも受けることができるようになり、セミナーが受けやすくなった、、ということもありますよね。
コミュニティの整理ができた、ということもあります。コロナ前はほうぼうに出歩いていたこともあり、色々なコミュニティに属していました。それが、多すぎてどこから整理していいか、困っていたのですが、コロナ禍で次々とコミュニティが崩壊して、自然とそこに費やす時間が減った、と思います。
長野県には行く機会が増えたかな。東京等、県外に出れなくなったことにより、長野県内を色々と巡っていました。コロナが始まってからは、上高地、飯田、上田、東御、諏訪、豊科、奈良井宿、等等。長野県にあるワイナリーにもちょいちょい出かけました。
あとは、コロナということで所属先の業務フローをデジタル化した、ということもあります。
もちろん、コロナ禍で病の恐怖に怯え、新規感染者が増えたといっては不安になり、行動も制約され、人との接触、特に会食や外食が極端に制約されたこと、長野県から出られなくなったことがキツかったです。でも、そんな中で得られたこともあったので、まあよかったかな、、と思います。あとは、できる限り新型コロナ感染症にかからないようにできれば、と重ます。