とりつくろうことに未来はない

人はうまくいかないことについて、つい、取り繕ってしまいます。この取り繕い、一見、その場はやり過ごせるように感じられるのですが、乱用するとよくないことも起こります。今回はそんなことをば。

失敗した時に、やっぱり、相手に対して、言い訳というか、つい、その場を取り繕ってしまう、往々にしてあります。取り繕ったほうとしては、うまくやった感があるのですが、受けるほうからすると、取り繕っていることがお見通しだったりします。

また、取り繕ってうまくやり過ごしてしまうと、反省の度合いが薄まるような気がします。とりあえず、なんとかなってしまったから。そうすると、その失敗が後に活かされない、ということもあります。

取り繕うのは失敗だけではなく、自分が苦手なことについてもそれが成り立ちます。つまり、苦手でない自分を見せたくないあまりに、「そんなことに興味はない。」、「おれには関係がない。」というそぶりをしてしまうことありますよね。そう、酸っぱいぶどうの理論です。

本当に興味がないならば、それはそれでかまわないです。でも、興味のない人はあえてそういうことは言わない、ので、やっぱり、執着はあるのですよね。でも、他人はそういう屈折した心情までは理解できないので、誰も手を差し伸べません。素直に、「~ができないので、助けてください。」といったほうが、周りからの助けが得られます。

ということで、取り繕うとあまりよくない、ということを考えてみました。もちろん、状況によっては取り繕うことも必要ですが、その場合でも弊害は意識しておくといいでしょう。

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