かの有名なマザーテレサはこう言いました。「愛の反対は無関心である。」と。えっ、愛の反対は憎しみではないなのか、、と思いますよね。実は、愛と憎しみ、同じ根から出ている感情だからです。
相手に対する憎しみの念が出てくるのは、「見返りを求める愛」からです。つまり、見返りを求める愛の場合、自分は相手に対して色々と尽くす、のですが、相手の事情により、それを返せない、応えられない、という時もあるでしょう。この場合は、「見返りを求める」モードになっているので、それが返ってこないと、つい、面白くない感情に支配されてしまいます。
それとともに、「近しい人だからこうあってほしい。」という感情をいだきがちです。別に赤の他人であれば、期待しないようなことであっても、自分が想う人であればこそ、こうあってほしい、ということがあります。相手がそれに反した在り方であったり、行為をとったりすると、やっぱり面白くない、わけです。
等々、こういった背景により、愛しているからこそ、その人を憎んでしまう、ということは往々にしてあります。おそらく、それがいきすぎるとストーカー行為、となってしまうのでは。
やっぱり、それはよろしくない、ということで、それを解消する方法を考えてみます。まずは、相手を理解すること、でしょう。行動や在り方が面白くなさを感じても、そこに至る背景を理解できれば、許容できる、ということあります。
例えば、デートに誘って拒否された場合、理由の明示なく拒否されれば、つい、「えっ」と思ってしまいますが、風邪をひいて臥せっているからデートできない、と言われれば、まあ、仕方ないかな、と思うことでしょう。
もう一つは、自分の想いを伝えること。対応できることであれば、案外、すんなりと対応してくれます。また、対応できなくても、そこに対して妥協なり調整なりすれば、まあ、心は落ち着くでしょう。
この場合、できる限り、穏やかに論理的に相手の面目をつぶさないように伝えることが大切です。 怒りや憎しみを持っている時はなかなかこれができず、つい、感情をぶつけてしまうのですが、そうするとうまくいくものも、うまくいかなくなります。
上記は、関係が成立している時の留意事項ですが、残念ながら、関係が成立しなかったり、壊れたりしてしまう、ということもあるでしょう。もちろん、関係を成立させること、復活させることに努力することも大切です。ですが、努力が実らず、それを続けるとお互いにとって不幸になる、ということもあるかもしれません。
そうなると、相手に対して、怒りや憎しみの念に囚われやすくなりますよね。その場合は、以前も紹介したように、「相手の幸せを願う愛」にシフトしていくがいいでしょう。具体的には、相手が幸せになれば自分はそこに関わらなくてもいい、と考え、相手から身を引くということですね。
ということで、愛という感情により怒りや憎しみが生れる、ということがあります。怒りや憎しみに駆られて行動すると、相手も自分も不幸になってしまいます。ので、怒りや憎しみの感情を制御し、それが行動に反映されないようにすることが必要です。