論理的には「~でないことはない」という否定の否定は肯定となります。とはいえ、そのニュアンスは単純な肯定とは違ってきます。実は、他者に与える印象、というのも違ってきます。今回はそんなことをば。
否定の否定、意味内容としては、肯定と一緒です。例えば、「野菜を食べることができます。」と「野菜を食べれないことはない。」というのでは、実際に野菜を食べることができるわけで、日本語としての意味内容は同じ、となります。論理的にはそういうことです。
ですが、否定の否定を利用した場合、その裏に込められるニュアンスや心情に否定的なものが加わります。上述の例であれば、「野菜を食べれないことはない。」といった場合、本当は野菜をあまり食べたくない、という気持ちを持っていて、その気持ちを表現するために(無意識的にも)、否定語を重ねる、となります。他には、「できないことはない。」というのも、できるのだけど得意ではないという気持ちの現れでしょう。つまり、否定の否定をすることにより、そのことに対してネガティブな感情を持っていることが表現されます。でなければ、普通の肯定をつかうわけですしね。
それは、聞いている方も同じように感じます。否定の否定を聞くと、乗り気ではないんだな、得意ではないんだな、ということはわかります。否定の否定は意味合いとしては肯定なので、聞き手としてはすっぱり肯定や否定されるより、モヤっとした気分になったりもします。例えば、「食事しよう。」とか誘った場合に「いけないわけではない。」と言われると、行くのか行かないのかどっちなんだよ、とか、行きたくなければ別にいいよ、と感じてしまうこともあります。おそらく、単純に「ごめん、先約があって。」と断わるほうが、まだ、印象がいいのでは。
要するに否定の否定は、表の意味は肯定、裏に込められた気持ちは否定なので、聞いた方としては、どちらで受け止めたほうがいいのか、困ってしまいます。話し手は微妙なニュアンスや感情を表現したいのでしょうが、与える印象はあまりよくありません。なので、できる限り、否定の否定は使わないほうがいいのではないでしょうか。使うのであれば、相手に与える印象をよく考えてから使うべきなのでしょう。