ゼロで数字を割る、、、、その時の解はない、というのが、常識といえば常識です。そこには、なにがしかの意義があるような気がします。ので、ここでは、その意義について少し考えてみました。
まず、僕が小学生(もしくは、中学生の時)に聞いた時の説明。実際の数字で考えてみましょう、ということ。まずは、1÷0.1は10になります。そして、1÷0.01だと、100になり、1÷0.001だと1,000になります。このように、割る方の数をどんどん小さくしていくと、答えはどんどん大きくなる。そして、割る数を小さくするのは限りがなくその答えも限りなく大きくなっていく、というような説明を聞きました。その時は一理あるなと。
上記を数学的にエレガントに表現したのが、極限です。ゼロじゃないけど、限りなくゼロに近づけてみましょう、というもの。大きくの関数は、無限大に発散することになります。ただ、そうでない関数もあって、例えば、y=x^2/x (^2は2乗ということです)は、そうではなく、xをゼロに近づけるとyもゼロに近づきます。そうそう、y=xとは意味合いが違う、ということに注意してください。
図形的にみると、y=1/xという表現になります。そう、双曲線です。x=1を頂点としてXを大きくすればするほどyは小さくなりxをゼロに近づけるとyの値はどんどん大きくなります。ただ、ここでの不思議なことは、xを正の値からゼロに近づけた場合は正の方向に大きくなり、また、xを負の値からゼロに近づけた場合は、負の方向に大きくなる。という、不思議な現象があります。
それと、ゼロでかける、ということは不可逆的な変換である、ということです。不可逆的、というのは、元に戻せない、という意味でここでは使っています。例えば、5×2=10は10を2でわり返せば5に戻すことができます。ただ、4×0とすると答えはゼロですが、これはゼロでわり返せない、ということで、計算不能。言ってみれば変換した結果が、一つの点に集約されてしまうので、それをもとに戻すことはできなくなる、ということでしょうか。それは、あたかも逆行列をもたない行列で一次変換を行うと図形が一つの点や直線に収斂してしまい、もうもとには戻せなくなる、というのと似ている気がします。
もともと、ゼロで割る、ということは、なにもないものを基準に数値を分割する、という、算数的に不合理な営みです。それを試行しようとすると、色々と不合理がことが生じます。ゼロで割ること、おそらく、色々な分野で色々に表現できる、ということはあるのですが、そこに到達することはできないのではないでしょうか。2段落目でとりあげた、極限をとる、ということは数学者が、ゼロで数値を割った解を求めようとする、その執念から生まれた概念である、ともいえるでしょう。もしかしたら、極限を発見(発明)したことにより、ゼロで割ることの探求は終わった、のかもしれませんね。