倫理観を考えるにあたり、法や規則を守るのか、それとも、守らないのか、ということがあるかと思います。法や規則を守る、ということは正しいことではあるものの、時にはそうでもないような場合もあります。そんなときの公認会計士の傾向を少し考えてみました。
法や規則に従うべき、という考え
法や規則、それがある以上はそれに従うべき、という考えです。そもそも、日本をはじめ諸外国は法治国家であり、国民が法を守ることにより秩序が形成され、安心して社会生活を送ることができます。逆に、法や規則がないと、強い人やずるい人が得をして、そうでない人は損をしてしまう、といこともあるので、法や規則を遵守する、ということは必要となります。
一般に、刑事罰や行政処分を受けると会社としても個人としてもダメージは大きいので、そういった意味でも法律や規則を守るということは必要となるでしょう。
では、法や規則が不合理であった場合にはどうするか、ソクラテスという人は「悪法も法なり。」ということで法や規則を遵守することを求める、のもこの考え方となります。
法や規則や規則に従わない場合の言い分
では、法や規則に従わない、という考え方、こちらはいかがでしょう。こういった考え方を提示すると、「この悪人め。」、と言われてしまうのですが、法や規則も完全なわけではありません。
法や規則は、国民間の利害調整をする機能があり、どうしても一定割合で不利益を被る人がでてきてしまいます。特に、権力者や既得権益の利益が保護される傾向があり、そうでない社会的弱者の利益がないがしろにされてしまうこともあります。そうなった場合、必ずしも法や規則を遵守することが社会的正義とはならないケースもあるでしょう。
また、世の中の移り変わりに法や規則がついていけない、ということもあるでしょうし、ぽっかりと大きな穴が開いている、というときもあります。そういった場合、法や規則に従わない、という考えもでてきます。
会計士はどちらを取る傾向があるか
会計士の考え方は、前者を取る場合が多いようです。というのも、会計監査は会計数値の妥当性を確認する、ということが職業となるわけですが、この場合の物差しはあくまでも会計基準というルールになります。もちろん、基準の範囲の中ではある程度の自由が認められてはいるのですが、あくまでも基準の範囲の中でです。会計でいうところの「真実」、つまり、正しさは基準に準拠すること、となりますので、社会生活でもそういう考えをとる傾向が強くなります。
また、監査にしろ、目的は会計数値の妥当性を検証する、ということですが、他方限界もあります。そこの限界の設定として、「監査基準に準拠して監査をすべきで、その範囲の外にあることについては責任を負わない。」ということになります。悪く言えば、監査の基準にさえ準拠していればその結果が誤ったとしても責任は問われない、となります。そうすると、結果より過程が基準にしたがっているか、というところがポイントとなりますので、基準を正とする考え方が強くなります。とはいえ、実際に会計不祥事があった場合、過程は厳しくチェックされますし、そういうときは基準からの逸脱はあったりするものですが。。
公認会計士は職業柄、「基準に準拠しているのか。」というのを非常に重んじます。ゆえに、法や規則を守るべき、という傾向が強くなり、特にグレーなエリアでの判断は非常に嫌がります。
まとめ
法や規則を守るかどうか、それぞれに論拠があります。ただ、会計士である以上、法や規則の準拠性は重んじる傾向にあります。そこがいいところでもあるのですが、時には「融通がきかない。」とか、「清濁あわせ飲めない。」というように批判されることもあります。もちろん、人によって異なりますが、一般的にはそういった傾向となっているようです。