自分はあまりモノにお金をあまりかけない傾向があります。服も時計もブランド品はほとんど持たず、普通のものを利用しています。それとは逆に、旅行とかセミナーとか形に残らないものには、あまりケチらないようにはこころがけています。
モノは壊れるが体験は残る
例えば、新しくておしゃれな車を買ったとしましょう。どのくらい、その車に乗れるか、耐用年数等それぞれ異なるとは思いますが、まあ、10年は乗り続けないでしょう。このように、モノはいつかは壊れてしまいます。
他方、体験をしたことは割と長く残ります。例えば、私自身は初めての一人旅はもうかれこれ15年以上前の話になります。ただ、あのときの、一人旅の不安感、道連れができたときの喜び、インドの街の街並み/喧騒、ネパールで見た山の景色、タイチェンマイでの村の訪問、旅が終わった後の達成感についてはまざまざと思いだすことができます。
もちろん、体験(厳密には体験にまつわる記憶)は徐々に薄れてきますが、体験が鮮烈であればあるほど強く残る傾向があります。
モノは身動きを遅くする
モノを持てば持つほど、制約が増えていきます。車の例を持ち出せば、車を持てば駐車場を探さなくてはなりません。つまり、家選びにあたって駐車場が併設されているところ、もしくはある程度近くにあるところを選ぶ必要があります。また、家財道具を持てば持つほど家さがしや引っ越し、保管費用等の負担が増えます。
体験は無形のものであるため、特に制約を発生させることはありません。そのため、フットワーク軽く立ち回ることができます。
体験を得るためのモノを買う
そうはいっても、体験を得るためにモノを買う、必要もあります。例えば、トライアスロンをしたい、といった場合は、マラソン、水泳、バイクそれぞれの種目に必要なモノを購入する必要があります。ただし、この場合は体験に紐づくモノの購入、となるため、これは体験の一環とよべるかもしれません。モノを買う場合にはこのように体験につながるもの、となるといいですね。
まとめ
上記が私がモノより体験にこだわる理由となります。このへんは人によって価値観の異なるところなので、なんともいえませんが。