映画を見てから原作を読もう~「幕が上がる」を題材に

先日、映画で見た「幕が上がる」、小説でも読んでみました。そこで気づいたのは、もし映画化された小説がありどちらとも見ていない場合は、先に映画を見てから原作を読んだほうがいい、ということです。そのことについて、「幕が上がる」を題材に考察してみます。

最初は映画からのほうが入りやすい

映画を見てから原作を読んだほうがスムーズです。というのは、映画は映像/効果/音と色々と動きを感じるので、多少集中力を欠くような状態であっても、ぐーっと引き寄せられます。

映画を見た後で、原作を読むと、原作がすーっと頭に入ってきます。やっぱり、書籍だと、字しか書いていないので読みなれていない人にはつらいですし、なにか気にかかることがあったりして集中力を欠いていると頭に入らなかったりします。でも、映画を見ていると比較的入りやすかったりします。

原作のほうが内容が深くなる

原作と比べると、映画のほうが盛り込める情報が少ないので、どうしても一部分内容を端折りがちになります。そのため、原作を読んでから映画を読むと、端折っているエピソードや登場人物が気になってしまうことがあります。逆に原作を後回しにすると、映画では端折っていたエピソードを楽しめるため一粒で2度おいしい感があります。

「幕が上がる」を例にとると、演劇部でとりあげていた、「銀河鉄道の夜」を戯曲としてとりあげています。それが徐々に完成していく過程を書いているのですが、映画版ではそれを省略しております。また、小説版の明脇役として、「わび助」なる人物もいるのですが、この人も映画ではでてきません。原作を読むとこういったこともにも触れられるので、結構、楽しかったりもします。

イメージが壊れない

原作から読むと自分勝手にイメージを作り上げてしまい、映画を見たときにそのイメージと映画の内容に齟齬が生じることが往々にしてあります。これは、映画は映画監督のイメージを押し付けられるところもあることに起因します。よく、映画を見たときに「~はミスキャストだ。」といってご立腹される人がいます。こういう人は原作で作った自分のイメージが壊されることに腹を立てているわけです。でも、映画から見ると、すでにイメージが形成されているのでそのイメージは原作を読んでも保持されます。

「幕が上がる」を例にとると、演劇部はももいろくろーばーZ(ももくろ)という団体が演じています。映画から原作に入った人は、原作を読んでもももくろの人たちが演劇部として頭の中で踊っているはずです。他方、原作から入った人は、「なにか違う。」という違和感を持たれることもあるかもしれません。このように映画から入ったほうがイメージは崩れないですね。

映画版には独特の良さも

このように書いていくと、映画より原作のほうが価値がある、と思われる方もいるでしょう。私自身も従前はそう思っていたところもあります。ただ、映画を作る際に、キャスト等に応じて原作で取り上げられているテーマを絞り込んでいくことにより生まれるのではないか。そうすることにより、原作とは若干異なる世界観を提示することができるのではと考えております。

「幕が上がる」では、映画版においては、演劇部をももくろにすることにより演劇部が全国大会にチャレンジする軌跡をメインテーマとすえております。そのため、そことは直接関連しないエピソード(「銀河鉄道の夜」の戯曲版、演劇部の子たちの進路等)を削り、演劇部の子達の苦悩の部分を強調し、登場人物も減らしております。そうすることにより、より演劇部の努力、成功、挫折、別れ等をフォーカスしおります。これが、この映画が大ヒットした理由の一つではないでしょうか。

概して、原作では主題がありつつもいくものエピソードが織り込まれているのを、映画だと主題にフォーカスを当てているという違いがあるかと思います。

まとめ

「幕が上がる」に限らず、面白いと思った映画があってそれに原作があった場合には、是非、原作を手に取ってみてください。そうすると、同じ作品で2度楽しむことができます。特に、普段、読書の習慣がない人ほど、原作を読んでほしい。逆に原作が好きで、映画化されて見に行くといった場合は内容にがっかりする可能性があることは心においたほうがいいと思います。

次は「銀河鉄道の夜」を読んでみようかな。また、作中で取り上げられている「銀河鉄道の夜」の演劇版を見てみたいのですね。

 

 

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