受験と社会、これはどういう関係にあるのでしょう。社会をよくするのか、それとも悪くするのか、それについて考えてみました。
能力の評価指標
受験、本来的には自分のもっている能力に対する評価指標となります。つまり、人の能力、付き合いが深くなればわかるのでしょうが、そうでない場合はよくわからないですよね。その時に、「〇〇という資格と持っています。」、「××大学を卒業しました。」というと、その情報をもとにその人がどういう能力を持っているか、察することができます。このように、受験から得られる結果や資格に基づき、その人の能力がある程度客観的にわかります。また、その人にとっては、自分の能力をその受験の結果(学歴、資格)によって説得力をもって主張することができるでしょう。
事前に備えておくべき知識、技術の習得
事前に知識、能力をつけさせることを可能にします。例えば、理系の大学では、授業についていくために、基礎となる数学や科学の知識が求められます。大学側ではそこまでケアできないので、受験というハードルを課すことにより、将来の学生にたいして授業を受けるために必要な知識をつけさせます。TOEFLも同じで、英語を使った授業を受けることを可能にする英語力をあらかじめつけさせておく、という効果があります。このように、受験により場に入る前に必要な知識をつけさせることができます。
社会を一定の方向にもっていく
受験制度があることによって、社会に一定の方向付けをすることができます。例えば、今は学歴社会が崩壊しつつある、とはいえども、実際にはまだまだ学歴によって評価をされる、ということもあるでしょう。そうすると、特に親御さんは子供に塾を通わせたり、子供としても一般的に世間でよいといわれている学校に行こうとします。それにより、大学側としては、必要な知識、素養を持った人間を向かえることができるし、社会にとってもある程度の基礎学力をもった人間を社会に送り出すことができます。つまり、大きな話をすると、受験制度をデザインすることにより、どういう国民を作り上げるのかということを決めることができるでしょう。
デメリットとしては、受験制度の影響が大きければ大きいほど、画一的な価値観、能力を持った人を生み出しやすい。10代の多感で成長する余地の大きい少年少女を一定の強力な価値観のもと受験勉強を強いるわけなので、それが全体に対しては大きな影響を与えてしまいます。
まとめ
受験制度は本来的な目的としては能力の評価基準であり、その先のキャリアのための準備の機会を与えます。そして、社会を受験制度のデザインによりよくもわるくも一定の方向に持っていく、という効果があります。なお、受験勉強が個人に与える影響はのちほど検討します。