事業において、いい先生パラドックスを乗り越えるために

いい先生とはどんな先生でしょうか?ある人から見た、いい先生は、他の人にとっていい先生でなかったりします。それと同じで、事業もあるお客さんにとっていい会社でも、他のお客さんを結果として蔑ろにしてしまったりする場合もあります。今回は、そんなことをば。

たとえば、中学校に不良で学校に来なかったりとか非行行動をとったりする人いたりします。中学校の先生、特に熱血で正義感の強い人ほど、そういう不良な学生に対して、自宅に訪問したり、説教したりして、結構な時間とエネルギーを投じます。こういう先生って、すごくいい先生だな、と周囲から思われたり、その先生自体もそういう自分に酔っていたりします。

じゃあ、他の生徒にとって、その先生はどう映るか。先生も大変だなー、と好意的に捉える人もいます。ですが、真面目にやっている自分に対してもっと時間を使ってほしい、自分のためになることをしてほしい、と思うことも多いのでは。学校の制度や秩序を守っている自分より、そうでない人に対して時間を割くことが、面白くない、と思うこともあります。

むしろ、冷たいようだけど、そういう問題児を切り捨てたほうが他の生徒にとってはプラスになったりもします。テレビだと、そういう先生は悪役風に書かれたりもするのですが。このように、問題のある生徒や人に時間を使い過ぎてしまい、問題がない生徒や人をケアしなくなってしまうことをいい先生のパラドックスと言います。

これは、学校だけではなく、いろいろなところで起こり得ます。ビジネスでもそうです。やっぱり、手がかかって、でも、報酬が安い、みたいなお客さんがいます。それ以外に相性が悪いお客さんもいると思います。会社としては、どうしてもそういうお客さんに時間や資源を割いてしまうこともあるでしょう。ですが、もし、そのことを他のお客さん、特にその会社にとっていいお客さんが知ったら、面白くなく、じゃあ、うちもその料金で、とか、うちにもそれぐらい時間をかけてくれ、と言いたくなるかもしれません。特に事業の場合は、教育と違って、もう少しビジネスライクにできるので、自社とは合わないお客さんはお断りすることもできるかと思います。

だけど、もう一つ、考えておきたい事があります。それは、相手の成長です。つまり、今は問題児でも将来は立ち直るかもしれない、事業でも今は相性も悪くてもかかるけど将来はいいお客さんになるかもしれない、ということです。その可能性をかけてお付き合いをしていく、ということも選択肢として考えます。

自分自身は教育者というよりは事業家なので、事業という観点から見ると、ある程度、顧客を選別していくことは必要かな、、とは思います。やっぱり、手がかかるか顧客は、つい、手をかけてしまうのですが、「つい」ではなく、戦略的に判断して対応したいものです。

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